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明確になったかも

先日サロンに来てくれたアロマ音叉®️仲間の由佳ちゃんが、

施術を受けに来てくれるきっかけとなった出来事を綴っているのを読んだ。

『死』への恐怖。

由佳ちゃんはセッションの時にも小さな時から『死』への恐怖が大きく、

怖くて眠れない時もあって、

今でも胸がざわざわするほど怖くなる時があると話していた。

一方、私はなぜだか『死』への恐怖がほぼない。

なぜこんなにもないのか?と自分でも思ってしまうほどない。

由佳ちゃんに「私は近い人の死にほぼ立ち会ったことがないけど、

けいちゃんは結構経験してるもんね。」

それを言われて、あぁ、そうかもしれないと思った。

記憶に残っている最初の死は2、3歳の時の曽祖父のお葬式。

数えるくらいしか会ったことはないと思うし、

私、小さい時のことをそんなに覚えていないのだけれど、

その時の状況はかなり鮮明に覚えている。

それから、中学の同級生、実弟、母、祖父、祖母。

Photo by Nic Y-C on Unsplash

さすがに亡くなった時、お葬式の時には悲しかったし、涙が出た。

1つのお別れであることには間違いない。

でもそのお別れは肉体的なお別れというのか、物質的なお別れというのか。

この地球に存在しなくなるということは、

2度とその人の声を音として認識して言葉を交わせない、

温もりを感じられない。その姿を見ることもできない。

そのことはとても寂しいし、悲しい。

ただ、私は魂という存在を感じたことがある。

幽霊とかではなく、魂だと思う。

全く怖くないし、その人を感じられた。

でも、本来はそこにいてはいけないもの。

だから、その魂が宇宙へ返るところも見送ったことがある。

本当に優しい、温かいものに囲まれて昇っていくのを見たというか、

感じたというか…。

だから、肉体はこの世からなくなっても魂はあるのだと本気で思っている。

私の大好きだった神主さんも言っていた。

「体は入れ物だから、わしの入れ物が壊れたら燃やして

 富山の川に流してくれって言ってあるんだ。」

「この世での死は肉体が亡くなったら終わりと思われとるが、

 終わらんからな。怖いことなんかちっともないわ。」

それが本当だと思う。

その後の経験からも、本当に、心底そう思っている。

だから、死が怖くない。

つまり、『死』は終わりではないということ。

地球からの卒業。

学校でも、卒業式って仲間やお世話になった先生たちと

お別れするのが寂しくて涙するよね?

それの規模が大きくなった感じ?

そんなに単純ではないか。

もう会えなくはない。また会える。きっと。

そう信じて疑わないから、怖くない。

RitaEによるPixabayからの画像 

それを感じているから、ターミナルケアにも取り組みたいと思っているんだと思う。

恐怖を感じずにこの世を卒業していってほしい。

ご家族にも、悲しみに明け暮れず、

自分を生きていってほしい。

それをなんとなく知っている私は、

やはりそこに関わる必要があるのかも。

由佳ちゃんのセッションから、そんなことに気付かされた。

今を大切に生き、この世を楽しみ笑顔でこの世を卒業していく。

その手伝いをするのが私の役割。

ビジョンが明確になった気がする。

気づきをありがとう。

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